2006年11月04日

観光地の形成の一つ

長い文面で書いても入力が上手くできませんでした。(先日のシステム変更があってから)
以前に比べ作業時間が無駄に思えることもありますので、簡単に紹介します。
戦地も観光地
19世紀に入ると欧州の列強国は中国の植民地化をもくろむ。
世界の時代兆候をみた日本も大陸進出に興味を持つようになる。
1884年の日清戦争をはじめとして日露戦争、太平洋戦争、第2次世界大戦へと人間にとって不幸な時代へと突入するのであった。戦後のアジアの独立戦争、朝鮮戦争、そしてベトナム戦争、他等々と幾度かの戦争が世界中で勃発し、人間のエゴイズムには終局がないことを物語っている。その都度に英雄を作り出し、戦争記念碑を建立してきた。残念ではあるが、こういうものが国際的な観光地となっている現実に気付いていただきたい。
日露戦争の戦勝記念(中央の乃木将軍は後に学習院院長に任命されました。しかしそれから5年後、明治天皇の崩御ののち、夫人・静子と殉死します。)

トーチカに残る激しい銃撃戦の跡
旅順203高地の戦いは日本軍にとって悲惨さものであった。(装備の劣悪)
史跡の保存状態は、100年以上経っているのに良好である。
トーチカの周囲には日本軍が掘ったトンネルが縦横に走っていた。
寒くなるところですが、何か嬉しそうな先生。

当時のロシアの高度な建築技術が見られます

中国の駕篭かき(かごや)
新婚さん。いらっしゃーい!  カモも、いらっしゃーい!
  


Posted by 三橋 at 23:38Comments(0)