2011年04月30日

今日の勝利で東北が一気に!

≪スポーツの効果≫
スポーツ馬鹿の私が言うのも、また表現が適切か分かりませんが。
楽天球団、ベガルタ仙台の勝利。
地元チームの勝利が全国ネットで紹介されるのは、食事が取れない病人が点滴を受けるようなものです。
身体の内部からエネルギーが出てきて元気になるのです。これは芸術にも言える事と思います。
≪直向な勝利への意欲≫
ごまかせない勝つこと、生きることへの一直線な姿だと思います。
今日、柔道の鈴木選手が4年ぶりに4度目の日本一になりました。
彼の涙がそれを物語っています。
  
(HPから写真拝借)  
同様に仙台市地下鉄、東北新幹線の全路線開通も元気をくれました。  


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2011年04月28日

検視医のお宝拝見

≪震災現場での身元確認の話≫
知人の山崎歯科医の話を紹介させていただきます。
交代で発見された遺体の特徴から震災者の身元確認をしているそうです。
聞いた話では、私の通っている歯科医の青葉先生もボランティアそれをやっているとのことでした。
チームは2人の歯科医と1人医師で構成されてチェック、記録をしているそうです。
発見された遺体はさまざまで言葉に尽くせないそうです。本当にご苦労様です。
昨晩、飲んだ後で彼の家によってお茶をご馳走になりました。
その時、軍医だったお祖父さんが日露戦争の旅順陥落記念に軍から頂いたという品物を見せていただきました。
素晴らしいグラスです。これで冷酒を飲んだら美味しいことでしょう。
お遊びで、お宝を鑑定するTV番組に出すよう勧めました。終わり。
      


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2011年04月27日

大震災ボランティア活動の難しさ

≪炊き出し≫
報道される震災者の避難センターや炊き出し場所は、利便性の高い所が主になっている。
避難センターによっては全くそれには疎遠な所が結構あります。
注意していただき、多くの被災者に平等に振舞っていただけたらと思います。
5/4~5に岐阜県の友達が10人(2台のマイクロバスと1台のトラック)で炊く出しに石巻市に来るというのでアレンジしました。
石巻市・・・震災支援センター・・・ボートピアと末端に行けば行くほど、今でも連絡が不備になって姉妹ます。
  


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2011年04月25日

石巻の被災地と日和公園

≪大被害地域≫
旧北上川河口から中洲にかけての両岸と仙台湾に面した地域が大きな被害大にあっている。
コンクリート建築やしっかりした家屋だけが形をとどめているという惨状はTVで紹介されていたのと同じ。
地方から来ているボランテジアにきていた人達がここから町の悲惨な状況を見てから帰っていく。


津波の押し寄せた方向が町の崩壊を見ると素人にもわかる。

公園には見学者、桜の下での宴会者、そして思い出にひたる者等々が集まってきている。
見る方向や視線には各々の思いが・・・・・。

取材クルーが目につきます。

  


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2011年04月24日

東京大丸のサバティーニで昼食

≪美味いものは心を癒す≫
被災地域の生活は、いろいろとストレスが溜まります。
美味しいものは、一時であっても真から心を和ませる効果が大です。
家族と飲むトスカーナ地方のキャンティの赤ワインも美味でした。
食と観光の共通点がここにあります。
≪スカイタワーが見える≫
最近増えている展望トイレ?というのでしょうか。
ここからは世界一の高層タワーとなったスカイタワーが見えます。
とても気持ちがいいですね。
是非、時間をつくって東京大丸デパートに行ってご利用ください。
  


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2011年04月23日

流失した家が河原に

≪河原が住宅地?≫
オーバーかも知れないが、七北田川の河川敷が振興住宅になったかの如く。
一軒そっくり、屋根、一階部屋部分、車庫等々が散在している姿は表現の言葉が見つからない。
立入り制限解除流域では自宅を探す姿がチラホラ。

対岸も同様の態です

≪土手の住宅地側≫
1階の天井部分まで水に使った家がほとんどでです。
日本家屋での泥だしは、押入れに入って作業から始まるのが普通のようです。
何所の家の床下収納庫は、食料品の腐敗は進んで鼻が曲がるという感じです。
梅雨時が気になります。

  


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2011年04月22日

喜ばれて帰りには

≪ボランティア先からのお土産≫
前日は、学生は感謝の証に新品の鍋セットいただいてきた。
復興の暁には美味しい鍋物を皆で食べようと誓う。
≪これもありかな?≫
今日は、とんでもないほど沢山のビール等の飲み物を頂く。
我々は泥かき、家主は缶ビール洗い。
この家ではアルコールを飲む人が居らず、処分に困るので持ち帰って欲しいということだった。
着いて驚いたのは、庭先に多量のビールが植えてあるような光景でした。
1km程の距離にキリンビールの工場とレストランがある。これが理由と理解する。
  



  


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2011年04月18日

ボランティア活動から現地を見る

≪わずかな距離での相違≫
同じ地域で町名が変わると大きな差が見える。蒲生地域での海から直線800メートルと1300メートルの距離の違い。
海に近く水位が1階天井(240センチメートル)程と床上浸水(130チメートル)になった地域での風景はかなり違っている。
  (写真A)立ち入り制限地域       (写真B)立ち入り自由地域
  
  


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2011年04月16日

東北観光へのダメージ

≪ダブルパンチ≫
地震と原発事故被害に風評被害が加わった東北経済のダメージは、単なる数値だけでは表現しきれない。
東北への国内旅行者の動きは止まり、マスコミでも報道されるように日本に来る外国人観光客(インバウンド)は急減。
イメージ的には、第二次世界大戦以来の日本観光事業に大きなダメージか。鳥インフルとはダメージのスケールが桁違い。
≪観光業界≫
旅行代理店は、一般の旅行予約はキャンセル、修学旅行の日程アレンジに追われる状況。
一部、被災者へ仕事を請け負うもビジネスにならず。手の空いてる社員は関係先へのボランティア活動に行っている。
観光地の被害軽度のホテル・旅館でも良い食材が入手できず変則的営業か開店休業状態にある。通常営業に向けて努力中。
域外からの人の動きは行政や企業の震災関係者とボランティア活動の人達が殆どという状態です。
大学を除く社会活動は、都市部ではかなり正常に戻りつつあるようです。しかし、本当の影響が出るのはこれからと思われる。

  


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2011年04月14日

仙台の鎖国解除のような

スピーディイな外部との交流手段
仙台空港の表玄関が開通し、一ヶ月超ぶりに国内線ではあるが外部とのゲートウェイに明るい兆し。
大震災後今まで不完全ではあるが陸路、鉄路と交通網が徐々には回復し、ついに外国との出入り口に一条の光。
悲しさを和らげるためにも、人流・物流が復活して経済が活発になり、人々の顔に笑顔が戻るのを願うのみである。
滑走路脇は瓦礫の山です(河北新報写真)。着陸した機体には”がんばろう日本”の励ましの文字が。
空港周辺に散乱する車は無法駐車になく、流されてきた車です。
   
幹線道路脇に寄せられた瓦礫と補修工事中のアウトレット。
  
田んぼでなくなった、仙台空港周辺の田んぼ
  





  


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2011年04月13日

ここまで行くの!

≪直ぐに沈まない車≫
え!ここまで水がきたの? 窓を閉めていると結構車は浮くそうです。
ビックリする写真が新聞に掲載されているの見たことがあると思います。
なんと、津波の水位が38メートルにも達したと言われる地域がありました。
その勢いを思わせる写真の一つ。
魚の名前は知らないが、100センチ程ある2匹の魚が道路脇の溝にありました。


  


Posted by 三橋 at 00:54Comments(0)

2011年04月12日

サバイバル用品

≪コンパクトさが一番≫
手動充電のLEDライト(点滅、防災サイレン付き)・ラジオ・充電アダプター・携帯の充電(各種)がセットになっている便利さ。
部分的にはこれらを家に装備しているが、使う時に電池切れを発見という不甲斐なさ。
この商品を売って義捐金にしたかったので学生生協に相談したら、募金活動の方が早いと言われちゃいました。
私のアイディアは古すぎるのしょうか。
  


Posted by 三橋 at 00:14Comments(0)

2011年04月11日

戦災難民の写真さながら

≪戦地以上の惨状≫
こんな悲しい風景が日本で見られるなんて考えても居ませんでした。
戦争や内乱で見られる光景と見た目は変わりませんが、ここは日本ですので希望は捨てずに皆で頑張りましょう。
(戦地や内乱地域では、非難後でも生死をかけた生活が続いていると知人に聞きました)
今回の東日本大震災は、今を遡る36,7年前に海外の映画館で見た小松左京の日本沈没を彷彿させてしまいました。
下記の一部写真は河北新報から

≪石ノ森章太郎漫画記念館周辺≫
石巻の旧北上川中洲周辺
  
道路脇の割烹を押し潰した漁船と釣り船屋の事務所に船首を突っ込んだクルーザー。
    
昨日乗ったタクシー運転手から、彼の友人の救えなかった母親が流木に挟まれ非難所近くまで流され、先に避難していたという話を聞きました。
  


Posted by 三橋 at 10:28Comments(0)

2011年04月10日

余震が大地震並

≪余震が震度6強≫
4月7日23:32の余震は、研究室で放置されていた3月11日東日本大震災の後片付けしている最中でした。
戻したもの多くが元の木阿弥になってしまいました。もう、嫌です。
  
≪神よご加護を!≫
あまりにも先が見えない将来への不安。至らぬ点が多々あったろうが許していただきたい。
私はいい、切羽詰っている人に夢と可能性、そして幸運をお願いします。

  


Posted by 三橋 at 13:30Comments(0)

2011年04月09日

教え子の亡骸に合掌

≪誰がこんな別れを想定したか≫
書く時が来てしまった。宮城大学学部生、大学院生約1800名の中から1名の犠牲者を出してしまった。大変残念である。
また、家族や家屋や他を失った者、関係者を含めた等々は把握できない。発する言葉が見つからない。
4月3日、津波後3週間以上経ってから教え子のゼミ生の遺体が発見されたと2007年卒業ゼミ同期生から連絡が入った。
7日に院卒のゼミ生と利府町の白寿殿に安置されていた亡骸にお別れをしてしてくる。辛い。
某最大手旅行会社に推薦入社させた可愛いく、人望がある活発な女子セミ長だった。一番気になるのは残された幼子である。
≪時が経つことによって全容が明らかに≫
まだまだ震災後に手が十分届いていない地域が残されております。
今後、更なる訃報を聞くことに留意せねばならないかも知れません。
自宅を流失した4年生が、先輩のリクルート背広を借りて就職活動をしている現実があります。
  


Posted by 三橋 at 20:51Comments(0)

2011年04月04日

京の春、老人の春

≪思いは同じか≫
大震災を忘れられる春はいつになるのか。
震災地にも咲いていた寒桜を見てる老人。笑顔の春はいつ東北に来るのか。


  


Posted by 三橋 at 04:40Comments(0)

2011年04月03日

海外からの移住の誘い

≪嬉しくもあるが≫
ニューヨーク、シカゴ、ロスアンゼルス、ハワイ、メキシコ、ロスモチス、サンパウロ、ソウル、コロンボ、他からの誘い。
心配してくれるのはいいが、一生は面倒を見てくれないだろう。でも、声をかけてくれるだけ幸せか。
≪人生における見切り≫
  


Posted by 三橋 at 04:20Comments(0)