2011年07月31日

ようこそ小野田少尉殿

≪ゲストスピーカー≫
忘れられたいる良き日本、良き日本人、そして自然教育の素晴らしさなどを講演いただきました。
カクシャクとしていた父親と居るような思いになりました。

 小野田 寛郎(おのだ ひろお)は、1922年3月19日和歌山県海南市生まれの日本の元陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒業後、中国本土で防諜・工作を主任務として活動、その後フィリピンへ転属して、ルバング島で残置諜者となるよう命令を受けました。
昭和20年8月15日、日本の無条件降伏により終戦。アメリカ軍は、軍用機を使って空から、「戦争が終結したこと、武装放棄すること、身の安全を保証すること」などを記載したチラシをばら撒いて投降を促したのですが、小野田少尉は部下である島田伍長、小塚上等兵、赤津一等兵3人とジャングルに潜伏し、「このビラは敵側の謀略である」と無視して戦闘を継続したのです。
それから月日が経ち、1974年、3月12日、太平洋戦争終結から29年目にしてフィリピンのルバング島から帰国を果たす。かつての青年将校は51歳になってやっと終戦をむかえました。
ちなみに 横田少尉以外の日本軍敗残兵は

赤津一等兵-1951年に帰国

島田伍長-1954年、地元の軍隊と武力衝突により戦死。

小塚上等兵-1972年、フィリピン国家警察との戦闘により戦死。

(1972年にフィリピン国家警察との銃撃戦で犠牲となった小塚上等兵は、実に戦後27年を経た最後の゛戦死者゛である。)

   


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2011年07月29日

大分慣れてきましたが

≪東北道路の料金所≫
ここ泉ICもETCと一般料金所の数が以前とは逆転し、また従業員の慣れからゲートの通過時間が大分短縮されました。
しかし、まだまだ長蛇の列となるICの出入り口が多く、ドライバーの精神衛生には良くありません。
担当機関に対して更なる改良をお願いしたい。
  



  


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2011年07月29日

外国の貧しい子からの熱い応援

≪アニモ日本!≫
3.11の大震災後、市内にいた家族の安否確認が取れた直後に電話は普通となってしまった。
その後電話が入ったのは外国からで、大丈夫か?何か必要なものはないか?という気使いの連絡であった。
中でも、印象に残るのはメキシコの施設(DV問題児施設)の子供達からの”アニモ日本!”(頑張れニッポン)の電話だった。
昨秋の(財)日本武道館主催、日本とメキシコ政府後援の大日本武道演武会(12の武道、80名の団員)がメキシコで開催された。
この催しに前述の施設の子供達を招待し、後日私の微々たるコーディネート料を教材購入用にと寄付をした。
この施設から被災地に義援金を送りたいというので気持ちだけで結構と伝えたが、意思が固かったので日本赤十字を紹介する。
日本には「食足りて善をなす」という諺がある。
日本人の立場が逆であったら、貧しい者が富める国の国民に施しができるであろうか。
分かち合うというキリストの教えでしょうか? 
日本は今までとは違う将来を迎えていることを認識せねばならないでしょう。  


Posted by 三橋 at 00:32Comments(0)

2011年07月24日

今年は大当たり

≪マンゴの糖度18≫
これだけ甘ければ文句なし。でも、糖尿値が高い人はご用心を。まあ、一回くらいは大丈夫かな?
中南米・カリブ・南太平洋・南アジア・他の赤道近くの地域には、何所でも植樹されて子供のおやつにもなっています。
丁度、日本が貧乏な時代の庭先の柿みたいなものです。まだ青い酸っぱい物をしゃぶっているのには驚きます。
梅干をしゃぶるようなものでしょうか。しかし、最近は発展途上国でも子供達の嗜好のスナック菓子化は世界共通。
国が変われば、価値観・品質・価格は雲泥の差となっています。

  


Posted by 三橋 at 12:00Comments(0)

2011年07月23日

フルーツも安心安全が一番

≪誰を信じりゃいいの≫
どこの家庭も同じと思うが、一般家庭でも冷蔵庫の中に東北産食料が皆無となっていませんか。
私は20年後の自分を消滅させていますが、私を除いた家族はその時代を華と想定しているようです。
宮古の医院長からのお中元でした。嫌ですがセシウム汚染がない物が最高級品と言われる時代がくるかも知れません。
沖縄に日本の首都が移転したら国会の清掃員に希望者が殺到するかも。

  


Posted by 三橋 at 00:13Comments(1)

2011年07月22日

中国からの研究生が来たが・・・

≪今年は中国人を入れました≫
日本ナイズした中国人留学生からは現状の中国を測れないと思い、中国から直接来日の学部研究生を引き受けました。
日本人も国際社会で存在感を保つのには中国人のしぶとさを学ぶべきです。
これはお国柄の感性からでしょうか。
なでしこジャパンに負けずに、日本として“Japan as number one” の夢をもう一度。
これを食したら力が出るかな?
  


Posted by 三橋 at 09:20Comments(0)

2011年07月21日

どこへ行ったかデキカメ君

≪愛用のデジカメが何所かに≫
8日に学生が捕まえた珍種のトンボを撮影した後から何所へ行ったか分かりません。
一緒に名刺入れも見つかりません。健忘症でしょうか?ちょっと気になります。
撮影した珍種のトンボ君の写真が欲しいので探していますが、見つかりません。
出てきたら写真をここに添付する予定です。  


Posted by 三橋 at 00:34Comments(0)

2011年07月18日

復興への一歩を港にみる

≪スケジュールミス≫
祭以外の先約行動がありました。
焼けた漁船の係留する先では、復旧・復興に向けた動きがありました。
陸上よりも先に、海岸から復旧・復興の波がやってくるように思えます。
    


Posted by 三橋 at 00:10Comments(0)

2011年07月17日

東北六魂祭は大盛況ですね

≪ストレス発散≫
3.11以後、いろいろな形のストレスが皆に溜まっていたと思います。
この2日間でストレスを発散して、復興の次の一歩にステップしましょう。
土曜の午後に定禅寺通りに出て行こうと思ったら、友達から大混雑の情報があったので、出る事を見合わせてしまいました。
日曜日の午前には出て行き、日頃のストレスを発散して美味しいものを食べてきたいと思っています。
街であったら声をかけてください。学生さんでしたら何かご馳走いたします。  


Posted by 三橋 at 03:28Comments(0)

2011年07月15日

7/15の朝刊に載っているとの連絡

≪おおっー、いましたね≫
今回の女川町の津波で崩壊した交番前での取材でした。
もう少し格好の良い写真の撮られ方を勉強せねばなりません。
アメリカの大統領は写真等の取られ方の指導を受けると聞きました。

  


Posted by 三橋 at 01:13Comments(0)

2011年07月14日

気仙沼の防災モニュメントになるか

≪330トンの漁船≫
この船を復興記念館にするための改装プロジェクト案を立ち上げ中。
船の設計図入手と造船関係者のアドバイスが必要となってきました。
この船は福島県の船なので、岩手県・宮城県・福島県の3県連合復興・防災モニュメントとなりうる価値を有すと思います。

完全に水が引く前のガレキに囲まれた漁船の第18共徳丸?
 

海に戻す作業中の漁船と特殊作業車
  


Posted by 三橋 at 10:16Comments(0)

2011年07月13日

女川町震災モニュメント

≪この町は保存合意ができつつあります≫
我々としてはこの交番の保存を宮城県知事、県議会に申請していきます。
女川町の話では、石巻警察署から宮城県警本部へ保存のために無償譲渡等の打診を出しているそうです。
今後、防災モニュメントにするためには、一度は被災者捜索のために建物の下や周囲を確認することになるでしょう。

≪防災公園化≫
港からこの周辺まで地盤沈下しているので地面の整備が必要になります。
順序としては護岸用の防波堤後に、公園化となるでしょう。
安全な女川町の土地整備だけで1,000億円が見込まれるそうです。また、他のインフラも必要になります。
六十数億円の女川町の年間予算規模からみると気の遠くなる数字ですね。
  
  


Posted by 三橋 at 23:53Comments(1)

2011年07月12日

セガレの成長

関西の寺子屋は良いのかな?
京都の寺子屋に行っていた倅が、久ぶりに帰宅したので話す。
話す内容が4ヶ月前と違い大人になってきたのでビックリです。
仲間が良いのか?、寺子屋の先生が良いのか?
口先だけでなければ良いと思うのは、オヤジだけかな。
淡い期待を裏切らないで下さい。  


Posted by 三橋 at 20:42Comments(0)

2011年07月10日

異常な高速道路出口の混雑に案は?

≪何じゃー・・・・・!≫
こんなに混むなら下の一般道路を使えばよかった。
以前なら11、2分で仙台南から泉インター間の東北道路を走行できたのに。
昨日、土曜日の夕方に使ったら、走行時間が15分、一般ブース料金所の支払いに42分を要した。
ETCカードを忘れたおかげで、とんでもない事になってしまいました。
お金まで払ってこんなに待たせるのは無いでしょう。
松本災害復興前大臣殿、彼方の一声で何とかならないの?  


Posted by 三橋 at 23:12Comments(0)

2011年07月07日

チリ津波の水位は

≪チリ津波の水位ボード≫
防波堤から直線約200メートルの地点ある到達水位310cmのボード表示。
13,4mの高さに建てられていた崩壊家屋。
高台にある正面の家屋の1階の屋根の上まで津波の痕跡が見える。

≪水位240cm≫
南三陸町町役場にある水位ボード。
この辺で12,3mの高さに津波はきている。
    


Posted by 三橋 at 01:52Comments(0)

2011年07月04日

アイスキャンディがこんなに美味しいとは

≪元気なおばちゃん達≫
彼女達は、学生達にとってはおばあちゃんの年代に当たるかも知れません。
年代を超越した下水溝のヘドロかきの共働です。
≪学生がアイスキャンディの差し入れに感激!≫
お茶の時間におばちゃん達からの頂いた差し入れのアイスキャンディの味は、忘れないでしょう。
これが真の人と心の触れ合いで、机上の学問にも優るとも劣らない社会勉強と私は考えます。
80人近い若者のボランティ集団は、ひときわ目立ち、作業量も多大です。
  
注意事項を聞く姿は、普通の授業より真剣でした。 

この地域の路上津波水位は90cm~110cm位と思われます(ヘドロ異は少ない)。
大規模半壊とい状態ですが、ほとんどの住人は汚れた畳をはがして床下消毒・修理をし自宅に住んでいるそうです。
 
非難している集合住宅から水道水が流れっぱなしなっている所がありました。
  


Posted by 三橋 at 10:04Comments(0)

2011年07月02日

最近解らないことが多くなりました

≪震災復興・鎮魂の碑として残すなら≫
どう見ても、建設中のビルの骨組みに見えるでしょう。
鳥取県から着た人達が目の前にある防災センターのビルを探していました。

≪どうしたいのでしょうか?≫
行政もよく知らないとは、誰の指示でこうなってのでしょうか。多分安全を期しての復元を考えていることでしょう。
100年計、200年の未来で宮城県の防災を感情を超越して考える事もありかも知れません。

  


Posted by 三橋 at 00:58Comments(0)