2014年01月30日

永遠のO(ゼロ)

≪家族で映画館≫
息子たちが太平洋戦争映画に興味があるとばかり思っておりました。
イヤ、違っておりました。私が「永遠のO」という小説や映画を知らなかったようです。
少年期に父親の友人たちからその時代の話を耳にタコが出るほど聞いていました。
昭和30年代のテレビ番組の「太平洋戦争」は、毎週親父の所に遊びに来る旧軍兵士のコメント付きで見ておりました。
映画の永遠のゼロのキャストと自分が重なるようでした。
無理のない作品でした。じわっと泣けました。今日は映画館のサービスデーで1,000円でした。安いですね。
昔の張りのぼてのしょぼいゼロ戦を使った映画と違い、CGを駆使したリアルティを想像させる映画でした。


 

知覧と鹿屋の基地資料館には2度行きましたが、ハンカチがぐちょぐちょになってしまいました。








この記事へのコメント
ご無沙汰しています。「太平洋戦争」の思い出はいやですね。池袋で焼夷弾
にられて家は焼けてしまい防空壕で吹き飛ばされ一命をとりとめ飯能に逃げ
そのあとは毎日いも泥棒をしていました。そのあと信州の開拓団に入り長男は百姓をやれと父親に言われ尋常小学校も新制中学校も行くことができませんでした。今なんで働いているのかとお尋ねになるでしょう。答えは簡単、村の恥とのことで小学校も中学校も卒業したことになっていました。卒業証書はありません。高校はレベルの低い乙種農学校に行き卒業、そのあとは努力でした。英語は高校で初めてABCから学び今でも外国語恐怖症です。ドイツ留学をした時、全く分かりませんでした。あの時は若かったのでイギリス、フランスその他の国を旅行して歩き回り勉強はしませんでした。もともと「河原こじき」と石を投げられていた身分。その結果は未だ低所得者として働き続けています。先生はエリートですから今後観光の第一人者として頑張ってください。
Posted by ks. at 2014年02月09日 12:30
ksさん
ありがとう。メールを拝見致しました。
戦中・戦後のこの時代を思い出したくないひとが多いと思います。
食べる・生きるのが精一杯で、大多数の日本人は自分の人生選択などできなかった悲しい時代でした。私には今の日本社会が上手く理解できません。生意気なことを言うかもしれませんが、ksさんが時間ある時に自分史を綴って今そして未来の日本に残していただけたらと思います。日本人はいろいろなバランスの基軸がずれているのではと心配です。一時政治家を夢見ましたが、今の時代では自滅していたでしょう。三橋
Posted by 三橋三橋 at 2014年04月06日 10:56
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    コメント(2)