2014年01月05日
おせち料理の比較
≪来年のために≫
私の活動や生活環境もどんどん変わってきています。
毎年どんなおせち料理だったか忘れてしまいます。
箸をつけてしまって不躾ですが、1枚の記録写真を撮りました。
隣のピザ(プルコギ)は息子のおせち料理です。こいつは韓国系イタリア人か?

≪思い出≫
お袋の作った田舎風の正月料理は、とてもおせち料理と言えるほどセンスの良いものではありませんでした。
キザかも知れませんが食材は貧層であったが、愛情いっぱいだったのは確かだったと思います。
でも、格好つけの当時の少年の私は嫌いでした(クリスマスに憧れた同世代の者は同様だったと思います)。
またその時代、正月料理をセットで買ってくるなんてカントリーボーイにとっては想定外。
海外で迎えた最初の正月のおせち料理が、1972年1月1日にサンフランシスコダウンタウンのステーキハウスで友人と食べた分厚いステーキになってしまったことを覚えています。
私の活動や生活環境もどんどん変わってきています。
毎年どんなおせち料理だったか忘れてしまいます。
箸をつけてしまって不躾ですが、1枚の記録写真を撮りました。
隣のピザ(プルコギ)は息子のおせち料理です。こいつは韓国系イタリア人か?


≪思い出≫
お袋の作った田舎風の正月料理は、とてもおせち料理と言えるほどセンスの良いものではありませんでした。
キザかも知れませんが食材は貧層であったが、愛情いっぱいだったのは確かだったと思います。
でも、格好つけの当時の少年の私は嫌いでした(クリスマスに憧れた同世代の者は同様だったと思います)。
またその時代、正月料理をセットで買ってくるなんてカントリーボーイにとっては想定外。
海外で迎えた最初の正月のおせち料理が、1972年1月1日にサンフランシスコダウンタウンのステーキハウスで友人と食べた分厚いステーキになってしまったことを覚えています。
Posted by 三橋 at 14:02│Comments(0)