2007年10月26日

貞山運河パート①

やっと日の目を見るか貞山運河
 安土桃山時代になると、伊達政宗が現在の宮城県・大崎地方の岩出山城にその本拠を移した。すると、塩釜港と内水系とのネットワーク化を考えた政宗の命により、仙台湾沿いに阿武隈川河口から松島湾・塩釜港に到る全長31.5kmにおよぶ運河が開削された。仙台湾(広義)は、波の荒い仙台湾(狭義)と、波の静かな松島湾および石巻湾に分かれるが、この運河は波の荒い仙台湾(狭義)の部分に造られており、川船のまま塩釜港に至ることが出来るようになった。この開削工事は1597年から1661年にまでおよび、この間に政宗は岩出山城から仙台城(1600年建設開始)に移って、城下町・仙台を開いた。運河の途中には、仙台城下に到る名取川(広瀬川)や七北田川も各々の河口近くで交差しており、塩釜港は、伊達藩の城下町・仙台の外港として発展することとなる。この運河は、明治時代に大幅に拡張され、伊達政宗の諡「貞山公」に因んで 「貞山堀」、または 「貞山運河」 と呼ばれるようになった。

江戸時代(帆船時代)の仙台藩内には、塩釜港(寒風沢)の他に、北上川河口の石巻、阿武隈川河口の荒浜の計3つの重要港があった。1626年、川村孫兵衛重吉によって北上川改修が完成すると、仙台藩のみならず、南部藩領内の北上盆地各地からも北上川に米が川下げされ、川船によって北上川河口の石巻に集積された。そのため、東廻り航路の基点の石巻が仙台藩内の中心港となった。しかし、幕末に汽船が運行されるようになると、水深の浅い河口港である石巻は衰え、沈降海岸で水深が深い松島湾内にあって外洋に面している塩釜港が重要視されるようになった。

明治時代には、新堀・東名運河・北上運河・北北上運河が掘り加えられた(明治14年~17年野蒜築港が行われる)。現在、阿武隈川から旧北上川までの約50km弱の湾内水路、運河を総称して貞山運河と呼んでいる(呼ばせているかも)。

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「貞山運河の景観」現状紹介①
貞山運河パート①
塩釜港側((北側)                            運河側(南側)
貞山運河パート①貞山運河パート①



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貞山運河パート①
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