2015年02月01日

日本の迷走する学校教育の行方

≪若い人材育成≫
下村文部科学大臣がマスコミに顔を出す機会が多くなってきたようです。
日本の未来を背負う少年や少女に何をどのようの教育して行くのか。
押しつけで自分の将来を考えよという前に、それを考える方法・プロセスや必要性を教えることが最優先・最重要と思われる。
昔のソ連邦(現ロシア)では、小学生高学年で適正により進路が決められてしまうと聞いたことがある。
社会主義国、共産主義国では子供を国家の宝とし客観的に合理的な教育を行ったところがあった。
自由主義国家から見れば子供の選択の自由や挽回の機会を奪うという見識が強かった。
イギリスの産業改革後に、あの有名なマルクス自身が資本者側から労働者側へと見地を移行している。
能力主義の社会では能力がある者だけには全ての可能性があり、能力を持てなかった者にはチョイスが制限される。
そこに、無条件の平等性が失われてしまうのではないだろうか。
努力して目的達成した者は認められるが、努力しても叶わなかった者は切る捨てられる。
才能があり英才教育を受けたものは、スポーツでも結果を出している。
要するに優劣を競う食物や動物のように生まれる子供のDNAで将来の多くの事が決定されるような気がしてしまう。
私は生物学者(遺伝学)でないので詳しいことは分からないが、才能は遺伝による処があることは否定できないと思う。
顔、体型、運動能力、知能、性格、他+周辺要因(家系の経済能力、他等々)。
努力という一言では片付けられないものが多く存在する。
-省略-
社会不安・が人間不信が急進する日本社会、自然回帰として百姓になれたらいいな。
また、貴重な若者の時間を無駄にしないように、以前と同様な選択としての中卒・高卒に開かれた職場が必要と考える。




  


Posted by 三橋 at 10:08Comments(0)